輪中堤といえば、濃尾平野の木曽三川下流域が有名1)輪中堤~最上川電子大事典(国交省山形河川国道事務所)ですが、今昔マップで迅速測図を眺めていたところ、荒川中流域にも同様の輪中堤(惣囲堤)が作られていたこと、そして当時の堤防が現在でもよく残っているということで、見物に行ってきました。
見物のコースは下記の地図のとおりで、東から西へと自転車で移動しました。
実は現地へ行ったのは2019/5/19で半年近く前なのですが、Wordpress上に地図を表示することが出来るようになったので、記事を書いてみました。2)WordPress上にLeafletで地図を載せるの関連記事は、元々はこの記事を書くためだったりします。
秋ヶ瀬橋の少し下流から、志木市役所の方に向けて江戸時代に作られた惣囲堤3)佐藤甚次郎・佐々木史郎・大羅陽一(1980) 荒川流域における水塚, 歴史地理学紀要, 22:127-148が残っています。大河川沿いの江戸時代の堤防が、現代まで残っているだけで無く、嵩上げなどがなく当時の姿のママ(多分ですが)で残っているのは珍しいのかなと思ったり。
荒川堤防から少し進むと下ノ氷川神社があり、ここにも治水関連の記念碑などがありました。ただ、内容は忘れてしましました。
惣囲堤の内側から堤防を見ると、今でも河川がありそうに見えます。
住宅地の中でもしっかりと残っているのが印象的でした。かなりの高さがありましたので、この辺りはもしかしたら嵩上げとかされているのかも!?
小河川を新河岸川に流すための樋門。奥に見えるのは現在の新河岸川の堤防。時代が新しくなるにつれて、人間の領域が広くなり、川が狭くなる傾向が。
最後の一枚は堤防とは全く関係なくて、志木市の段丘上にある敷島神社の田子山富士塚から撮った写真。休日は時間限定で登ることも出来るようで、私たちが着いたときは時間ギリギリでしたがなんとか入れてもらうことが出来ました。
2019/10/23 台風19号の浸水推定段彩図(地理院タイル)を地図に追加しました
脚注
↑1 | 輪中堤~最上川電子大事典(国交省山形河川国道事務所) |
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↑2 | WordPress上にLeafletで地図を載せるの関連記事は、元々はこの記事を書くためだったりします。 |
↑3 | 佐藤甚次郎・佐々木史郎・大羅陽一(1980) 荒川流域における水塚, 歴史地理学紀要, 22:127-148 |