一つ前の記事に引き続き、「君の名は。」ネタで少し。
例のごとく、ネタバレを含むので続きを読みたい方は「続きを読む」を押してください。
一つ前の記事でご神体の場所(上の画像)の地形の違和感について書きましたが、そもそも糸守湖とその周辺(以下「糸守盆地」と称します)の地形がとても不思議です。
糸守盆地は、諏訪盆地(諏訪湖)が元になっているという記事がいくつか見られます。雰囲気は確かに似ています。
しかし、私の目には、予告編をネットで目にしたときから「この湖、諏訪湖とは成因が違う」と違和感を感じていました。諏訪湖は断層で出来た湖なのですが、糸守湖と周りの盆地(以下、糸守盆地と言います)は丸い形をしていて、断層で出来た形とはとても思えません。火山のカルデラで無ければ隕石のクレーターと思える地形になっています。「誰か地形学者の監修が入っているのか?」と思うくらい、少なくとも地理マニアの私が見ても違和感の無い隕石湖(盆地)の形に描かれています。
そんな風に糸守盆地を眺めていたら、私は一つの仮説に至りました。
1200年前より前にも糸守へ隕石が落下していた!?
そんな糸守盆地とご神体の場所の地形から考えて、私は1200年前以前にも糸守の場所で隕石が落下していたのではないかと考えています。この場所は隕石を呼び寄せる、何か不思議な力でもあるのではないか、それが宮水神社の霊力でもあり、二人を時空を超えて入れ替える原動力になっていたのではないかなどと妄想が広がっております。
なぜ、糸守に複数回隕石が落下したのかと考えるようになったかというと、ご神体の場所と糸守盆地とではクレーターが形成された年代が違うように見えるのです。
まず、糸守湖に接続する河川を見てみましょう。湖の左側に(比較的)大きな河川が二つあります。手前側の河川は湖に近いところで広くなっていますが、奥の河川はそうはなっていません。何となくですが、手前の河川は湖に流入していますが、奥の河川は湖から流出しているように見えます。
少し話はそれますが、この二つの河川は小さな水路で結ばれています。この水路は何の役割があるのでしょうか。灌漑用途だけでなく、小さな湖ですがその周りでの舟運にも使われていたのでしょうか。
閑話休題。さて、糸守盆地と周辺を含む広い範囲の画像を見てみましょう。
糸守盆地の外輪山状の地形を見ると、この二本の河川の他にも、大小様々な谷が入っている事がわかります。一方で、一枚目のご神体の場所にはこのような谷は入っていません。また、糸守湖の周りには平地が出来ていますが、この平地は糸守湖に流入(・流出)する河川が運んできた土砂が堆積して出来たと考えることが出来ます。
つまり、ご神体の場所よりも、糸守盆地の方が古くから凹地だったと考えることが出来ます。ご神体の場所よりも、糸守盆地の方が(地形的な特徴から)侵食・堆積作用を長い時間受けていると考えられるためです。糸守湖について「1200年前の隕石落下で出来た」という台詞があったような気がしますが、ご神体の場所が1200年前で、糸守湖はもっと古いのでは無いのでしょうか。
以上の理由より、ご神体の場所よりも糸守盆地のクレーターの方が形成年代が古く、1200年前にご神体の場所を作った隕石よりも前に、糸守盆地(糸守湖)を作る隕石落下事件があったのでは無いかと考えられるのです。人的被害を伴う規模の陸上での隕石落下はきわめて珍しいのですが、(殆ど)同じ場所に複数回の隕石落下というのは偶然とは思えません。あの場所と隕石を結びつける、何か不思議な力があるのでは無いのでしょうか。また、1200年前に隕石が落下する更に前から、何らかの伝承があったのでは無いのでしょうか。そんなことを考えると、いろいろな事を妄想してしまいます。
記事中の画像は、Youtubeの予告編2から引用させて頂きました。